赤城おろし音楽祭に参加しました

数年ぶりに虫の息として人前に立ちました。
近所に、古い蔵を利用したカフェ(cafe NINOKURAという)があるんですが、その2階部分がフリースペースになっていて、「赤城おろし音楽祭」というイベントで参加者を募集していたので。音楽祭と銘打っているけど、人前で何かやりたい人は何でも誰でもよくて、直前まで申し込みOKという、なんともありがたい企画で、当日の朝に電話して、セットチェンジの隙間時間にやらせて頂きました。


祖父の話をしました、先月亡くなった祖父の思い出話。
たぶん10分くらいだったと思うけど、録音し損なって、どんな感じだったのか客観的にはわからない。早口になってしまったと思う。会場の雰囲気とかお客さんの雰囲気に、助けられた部分と圧倒されてしまった部分があったな。自分の話す力で世界が作れてたらいいのだけど、どうだったかな、力が弱かったと感じたな。
ただお客さんの反応から、届いたなっていう感覚もあって、出演を直前まで迷っていたけど、やってよかったって思えた。
それから、もうすぐ1歳になる子どもと一緒に立ったのだけど、抱っこを嫌がって腕から落ちそうになったりだとか、椅子に立ってる子を支えたりとかしながら話せて、舞台上で子とのやりとりを思っていた以上にやれてよかったし、それを楽しんでくれたお客さんもいて嬉しかった。


今住んでいるこの地で、何がこれからできるかなぁと模索中です。
たくさんの素敵な出会いがあるといいな。


とりあえず今回出演できてよかった、自分にとってとてもいい機会でした。
ありがとうございました。

ダンス・イズ・ピースフル

昨年のクリスマス、というか天皇誕生日に、キラリ☆ふじみのダンスカフェへ行ってきた。

プライベートな事なのだけど、昨年春に子どもを産んで育児中なので、なかなか劇場まで演劇をみに行く事ができずにいます。
しかもシングルなので、観劇中子どもを夫にみててもらうとかもできず。
劇場の託児サービスも1歳以上とか2歳以上とか、年齢制限があるので利用できず。
でも、みたいなあ、劇場に行きたいなあと思っていたら、キラリでやってるダンスカフェなら、カフェと銘打ってるくらいだから、赤ちゃん同伴OKらしいと知って、ドキドキしながら予約した。


酒井幸菜さんと北川結さんというダンサー2人による『ダブルス』という作品。
11時からの回を予約して、当日、暖かくいいお天気で、小さいけどガラス張りの明るい空間で、おいしいコーヒーを飲んで、よく動く我が子を抱きながら、ダンスの空気を吸ってとても気持ちよかった。
ダンスはやっぱり、どこをどうみたらいいのかわからないままだけど、そういえば演劇だってどこをどうみたらいいかわからないや。


『ダブルス』はそれこそテニスのダブルスのようなダンスから始まって、おわりまで2人のシンクロした動きを楽しみつつ、ストーリーや場面がなんとなくコロリコロリと変わっていく感じの作品でした。
どこかの民族衣装を彷彿とさせるような飾りがついた衣装で、メイクもなんとなくわたしにはエスニックに感じられたんだけど、天井には星がいくつも吊り下げられていたり、クリスマスツリーにみたてた脚立に飾り付けをする振りだとかがあって、クリスマス感が満載で、どこかの知らない国の女の子がくるりくるりと踊ってるような、今思い起こせばファンタジックなダンスだったなあ。
最初は観客のいる部屋で至近距離で踊っていて、そのあと池を挟んだ向こう岸で、そして戻って来る。
近くで踊ってるときは、ダンサーさんの表情とか、息があがっている様子とか、静止しているときの微妙な手の揺れとか、スカートやボンボンが跳ねる様子がみれて楽しいし、遠くで踊ってるときは、周りの風景の中の一部としてダンスがみれて楽しい。


ダンスカフェの作品が全てそうなのかは知らないけど、メインの部屋(客席も基本ここ)がガラス張りだし、パフォーマンスする場所も屋外に広がるし、チケットを買った人以外でも、周辺にいる人はダンスをみれるようになっていて、なんならその人たちはダンスをみてる観客のこともみれるようになっていて、その仕組みが面白かった。
その日は別のホールでピアノ教室の発表会をやっていて、ドレスなんかに着飾った子ども達がたくさんいて、池のそばで踊っている背景に小さな女の子がいたりして、それが作品の一部になってた。
作品の中の世界と現実の世界が隣り合っていて、不思議な感覚になった。
池のほとりのベンチにおじさんが一人座っていて、そこからダンスがよく見えて、あたたかい日差しの中、そのベンチが一番の特等席なんじゃないかって思えて羨ましかった。


あと今回みて思ったのは、上へ飛び跳ねる動きってとても素敵ということ。
重力にあらがう跳躍、ジャンプ、をみて気持ちが高揚してるのがわかったし、ダンスの醍醐味ってここにあるのかもしれないと思った。
どれだけ高く、軽く、優雅に、気持ちよく跳べるか。ダンサーのジャンプに観客は心奪われるのだなあと。
わたしもあんなふうに跳んでみたい、きっと素敵な気分に違いない。


穏やかな日の昼間に日光の下でダンスをみて、わたしも穏やかで幸せな気分になった。
ダンスはひとを傷つけない、と思う。


平和ないい一日でした。

65歳以上の三人姉妹

とても久しぶりの更新です。気づけば3年経ってました。
前回の更新、札幌の演劇フェスから演劇の上演はしてませんが、虫の息は虫の息なりに活動をしたり休んだりしています。
(ようは私が生きている限り虫の息も生きています。)


12月になって、今年ももう終わりますが、今年1月にみた劇について書きます。
書きたいと思い続けて書かないまま1年が経ってしまったというわけです。


彩の国さいたま芸術劇場でやっていた『三人姉妹』
「さいたまゴールドシアター」と言って、蜷川幸雄が始めた高齢者ばかりの劇団の作品で、実際のタイトルは『Pro・cess2017』なんだけど、三人姉妹の第1幕が真ん中に組み込まれている。
私は学生時代にロシア語劇のサークルに所属していて、この『三人姉妹』もやったことがあるのだけど、そのとき舞台監督だった同期を誘って見にいった。


失礼ながら、あまり期待せずに行ったんだけど、これが非常に面白かった。
まず高齢である出演者の方々が放つオーラがすごい。
若くて65歳、一番上の方は90を超えている。
それでしゃんと立って(杖をついたり、腰が曲がっていたりするけど、若者よりもずっとしゃんとしている印象を受ける)、重みはあるけど通る声を出す。
しかも年齢が上がれば上がるほど、身体的には弱くなっているはずなのに、客席に向かってくるエネルギーは強くなっていて恐ろしい。
気迫に圧倒された。
異彩を放っているというのか、動く彫刻のようで。
立ってこちらを見つめているだけで、なにか語られるものがあった。
なんなんこの人たち。びっくりした。


時々長台詞を忘れてしまったんじゃないかと思われるところもあったんだけど(演出だとしたら申し訳ない)、それを差し引いても、迫力ある舞台だった。
長く生きてきた人たちの身体に刻み込まれた年輪は、舞台の上で見物になるんだなと実感した。とは言っても、もちろん訓練や稽古や演出があってこそだろうけども。


作品は『三人姉妹』の第1幕の前後をオリジナルのシナリオで挟んである構成だったと思うんだけど、記憶が曖昧…。
オリジナルの部分は、有名な戯曲の台詞だったり、蜷川さんが生前稽古で言ったのであろう言葉だったりを一人一人が言っている部分があったのだけど、私にはよくわからなかった。蜷川さんに対する追悼なのかな、と思った。
舞台装置としては、大きい水槽みたいな透明の箱が人数分並んで置いてあって、そこに役者が入ったりする。
(この水槽は蜷川さんが多用した舞台美術らしいのだけど、私はよく知らない)
確か冒頭にお年寄りがみんなそこに入ってうずくまっているシーンがあって、それはまるで棺桶のように見えた。舞台上が墓場に見えた。
そのあと産声の効果音と共にみんな水槽から出て来るので、その部分は誕生を表現しているんだろうなと思うんだけど、なんせ高齢者は高齢者なもんで、私は残念ながら棺桶から這い出るゾンビに見えてしまった…
でもそれぞれがそれぞれの歳を重ねた身体を窮屈そうに折り曲げて水槽に入っている姿は見応えがあった。


さて『三人姉妹』である。
私はこれがとても気に入った。
モスクワでみた有名な劇団のやつよりも面白いと思った。
まずオリガ、マーシャ、イリーナが4人それぞれいるんです。(他にも複数人いる役がある)
舞台上に3人いるところが12人いることになるし、4人が4人とも順番に全部台詞を言うもんだから、同じ台詞を4回聞かなきゃいけなくて、
始まった時は、まじかよって思ったけど、不思議と4回聞いても飽きないし、4人いて1人ってのがだんだん当たり前に感じられてくる。
それどころか4回繰り返されることで、モスクワ行きを夢見ながら、ついぞ叶わなかった姉妹たちの想いが虚しく響いて、彼らの生活がとても寂しく滑稽なものに見えてくる。
それに加えて若い女優が演じるはずの三人姉妹や、若い将校たちの役を、おばあちゃんおじいちゃんと呼ばれる人たちがやっていると、この生活が永遠と繰り返されるだけで進歩しないまま歳をとっていった姉妹たち、というイメージが重なって、明るい雰囲気のはずの1幕が、みていて辛くなるほどの悲喜劇に感じられた。
このまま2幕以降もみたいと思ったし、1幕だけで4幕分みたような気にもなった。
ト書きの「笑い」の部分なども含めて、チェーホフの戯曲がわかりやすくなっていたと感じた。
総じていいものみたなと思った。


ちなみに私が演じたナターシャは、まさしく笑い者の滑稽でださい田舎の女として演じられていて(この役は一人)、私もこんなナターシャをやりたかったと思った。


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お知らせ
私が学生のとき入っていたロシア語劇団コンツェルトの本公演が間近です。
今年の演目はノーベル文学賞も受賞したジャーナリスト、スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチの『戦争は女の顔をしていない』です。
ご興味ある方は是非。
https://ex.kontsert.jp/2017/

札幌から帰ってきました

札幌から帰ってきました。
短編演劇祭では、虫の息は残念ながらBブロックの2位に終わってしまい、予選敗退でした。


とてもとても悔しいです。決勝に行きたかった。
と、予選が終わったときにも思ったし、決勝をみても思った。
あの場で自分たちのもう一度やりたかったと。悔しい。


けども、 多くの人に良かったと、面白かったと言ってもらえて、それはすごく嬉しかったし、励みになります。
東京からの出場にも関わらず、お客さんからの投票が意外なほど多くて、驚いたし、とても嬉しかった。感謝です。
舞台の上で演じているときも、お客さんの反応が温かくて、緊張がほどよく緩和されてやりやすかった。
審査員の方々にもいろんなことを言っていただいた。お褒めの言葉もいただいたし、こうすれば、というアドバイスや励ましもたくさん頂いた。
札幌で、私たちの作品を受け入れてもらって、評価していただけて、とてもほっとした。やってよかったと心から思えました。


今回の作品『落とし罠』は、中村軌久くんと杉の二人芝居で、稽古しながら一緒につくったものです。
稽古時間は10日ほどで少なかったけど、この作品のことだけを集中して考えてつくれた貴重な日々でした。
虫の息の第二回公演『MIDORI』のときに出演と作曲をしてくれた田村啓くん(どうしようかなズというバンドでギターやってます)に、今回劇中でつかうテーマ曲の作曲もやってもらいました。
短期間でレコーディングまでして、お世話になりました。
はじめて私もスタジオでのレコーディングというものを見学したのですけど、録音したものを確認するとか、音を重ねていくのとか、つなげるとか、ループさせるとか、そういった作業はなかなか興味深いですね。
重ねた音の、あるトラックのボリュームを少し変えるだけでずいぶん曲の雰囲気が変わるものなんだと知りました。
そういった微妙なさじ加減、センスの加減がいくつも集まって、重なって、一つの曲になるのだなと感心しました。
これから録音された音楽の聞き方が少し変わりそうです。
ちなみに今回の曲は、啓さんがギター、中村くんがピアノで参加してます。


そして今回もまた、スタッフの皆さんにだいぶお世話になりました。
実行委員で連絡のやり取りをしてくださった方もですし、技術のスタッフの方々もです。
特に技術スタッフの方々には、短いリハーサルの時間で、いろいろと私のわがままに付き合っていただきました。
演出家のくせに自分のイメージを伝えるのが苦手な私の指示で、困惑することが多かったと思いますが、快くこちらの要望に最大限答えていただきました。ありがとうございました。
虫の息は、ギャラリーなど、あまり劇場としての設備が整っていない場所で今まで公演してきました。
それなので、ちゃんとした劇場で、技術スタッフの方にご協力いただいて、自分の作品を上演するのは今年2月の大阪芸創コネクトとあわせて今回が2回目でした。
今回照明を担当して頂いた上村さんは、台本をよんで、あらかじめこんな感じ?という照明プランを考えてきてくださって、そのおかげで自分で考えていた以上に豊かな表現ができるようになりました。
照明ってすごいな、と改めて思いました。
一度音響も、照明も、じっくり舞台の上で練りながら、作品を作ってみたいなと思う。虫の息の可能性が広がる体験でした。


結果は惜しかったとはいえども、予選敗退。悔しいですが、この結果をちゃんと受け止めて、次に生かしたいです。



優勝者は星くずロンリネスさんでした。


おいしいものたくさん食べました。写真はジンギスカン


地元の人は行かないという札幌市街にあるビルの上の観覧車。


振り返ってみると、この夏私はずいぶんいろんなところへ行ってきました。これからはしばらく東京にいます。
3ヶ月後の自分が何をやっているか、実はわからない状況に今私はいるんですが、自分が精一杯楽しめる事をやっていたらいいなと思います。

教文演劇フェスティバル2014(札幌)に出場します

蝉が鳴き始めましたね。
さて、今年の夏の虫の息は札幌です。
わー!

札幌市教育文化会館が主催する「教文演劇フェスティバル2014」の「短編演劇祭」に出場します。
今年のテーマは「ワナ」だそうです。
短い戯曲を書いて、公開審査をうけて、なんとか運良く出場できることになりました。


ひとりアナゴさんでおなじみの中村くんと杉の二人芝居をやってきます。
参加団体が虫の息以外は全て札幌の劇団なので、完全アウェイですが、楽しめるといいな。
大阪での芸創コネクトのように、他団体と交流できたらいいなと思います。


本番は8月16日(土)です。私たちは18:00からのBブロックです。
予選に勝ち抜けば17日(日)14:00からの決勝にも出れます。
審査には観客票もあるので、応援しにきてくださいねー!
それから各出場団体がPR映像をつくっています。もちろん虫の息も。無駄に歌舞伎座の前で撮ったものが公開されています。全然歌舞伎座うつってないけど。固定カメラの前で、中村くんとしゃべりました。何十回撮り直しただろう…まあそれでもこの出来です。
恥ずかしくて私は見れませんでしたが、リンクはっておきます。
https://www.youtube.com/watch?v=sMa88bXg-yQ

CEREMONYから頭切り替えてがんばります。

CEREMONY 横浜、高知、福井公演を終えて

東京デスロック『CEREMONY』が全公演おわりました。
横浜、高知、福井と、とてもとても長い1ヶ月でした。


多田さんの演出助手について、これでもう4回目?なのですが、全然仕事ができなくて、迷惑ばかりかけてしまった日々でした。
公演終わってからもほぼ毎日CEREMONYの夢をみていて、夢の中で私がまた失敗をしていたり、多田さんが夏目さんに新しく演出つけているのを横でメモしていたりということが続いています。正直そろそろ解放されたい(笑)


今回はじめて、首都圏以外で演劇の公演をするというのを味わいました。(正確に言えば木ノ下歌舞伎の演助で京都にも行ったことがあるのですが、木ノ下歌舞伎自体が京都の団体だったこともあって、アウェイでやってる感とか、地元と地元じゃない人という区別があんまりなかった気が…。外部の京都の人との接触も私はほとんどなかったというのもそういった感覚の原因の一つかな)
高知でも、福井でも、その土地の、その劇場の人たちと会話しながら具体的に舞台美術を作っていくし、その雰囲気の中で舞台をつくっていきます。
それぞれの劇場の、土地の、人の、色があって、空気があって、そういったものを肌で感じながらつくって、そして実際に上演しました。
私は裏方なので、本番の舞台がどんな雰囲気の中で行われていたのか、モニター越しでしか見れていませんでしたが、高知の開場中(私は案内係として全公演、客席の近くに立っていました)、横浜での公演とも、今までやってきた公演とも、全然お客さんたちの雰囲気が違う!というのを強く感じて驚いたのを覚えています。
あの「感じ」は本当に初めてだったので、なんだこれはー!とお客さんを案内しながら思っていました。
劇場の空間の広さや客席の数、舞台美術の違いが理由ではなく、それは明らかに、お客さんの持ち込んで来る雰囲気の違いでした。
それがとても「いい感じ」だったので、開演前にも関わらず、気持ちは小躍りしていました。
(そのときが実はこの旅公演の私のハイライトでした。)
その後、福井でもそういった「雰囲気の違い」を感じて、そうか、首都圏以外の地域でやるってこういう事なのか、と今まで想像だけで捉えていた「地方公演」のイメージとは異なるものを知った気がします。
そして、そういう環境で、その土地の人たちと、あんな作品をつくれるデスロック(そして全体を引っ張っている多田さん)すげーな、羨ましいな、と嫉妬しました。


前回の記事で、ダンスが解らんということを書きました。
その後、ダンサーの伊東さんとお話する機会にもたくさん恵まれたし、CEREMONYを作っていく過程でもダンスや踊りについて考える時間があったので、以前よりダンスとの距離が近くなったかなという気がしてます。幸いです。
ダンスについてのことは、また気が向いたら書きます。


福井公演の後、福井、富山、長野、埼玉をまわって帰京しました。一人旅を数日してきました。
旅先での見知らぬ人との会話は楽しいです。一人旅も気楽でいいです。が、やはり一人は寂しい。
高校生のとき以来の一人旅でしたが、やはり私には性に合わないなと思いました。
高知公演のあと東京に一度戻ったときは、駅や街の人ごみが嫌だったし、東京うんざりと思ったけど、一人旅のあとだと、それはそれで嫌なんだけど、東京好きだなと思い直してしまったところがあります。なぜなら、東京には私が好きな友人たちがいるから。
どこで、よりも、誰と、生きていくかの方が優先順位が上なんだな、と思った帰京でした。




横浜、高知、福井


楽屋モニターから